「キジのホロ打ちを見て」          坂口茂正

 国歌は君が代、国花は菊もしくは桜とされている。では国鳥といえば、キジです。キジは富士山と同様に、日本人にとって象徴的存在なのだ。山陰地方にも、あちこちの農耕地に留鳥として棲息している。ところが、鳴き声は耳にしても、姿を目にすることは、意外に少ない野鳥だ。キジの写真を待合室に飾っていると、実物を見たことのない方なのか、このニワトリに似た鳥は、何という鳥ですかと質問した人があった。

 平成24年5月20日の午後、当てもなくのろのろと、安来の田園地帯を車で走っていると、遠くの方にぽつんと立っているキジの姿が目に止まった。通りかかった農婦の方に「キジがいますね」と声を掛けてみると、「鳴き声ばっかりで姿は見せてくれませんからねえ・・・・・」と寂しそうな口調で答えてくれた。100メートル先のキジも、その気になって見ようとしないと見えないようだ。私には300メートル先の、もう一羽のキジも見えていた。
 このキジの写真を撮るにはちょっと遠すぎた。車でゆっくり、ゆっくり近寄ってみた。思ったより道路に近い畑の畦にキジは立っていた。人が近付けば間違いなく逃げ出す距離だったが、車だとこの綺麗な雄のキジは逃げなかった。車の中でしばらくじっと動かないで、キジが安心するのを待った。そのあと三脚を助手席に据え、デジスコを開始した。私のバードウオッチングは、野鳥をよく観察できたとしても、目的を達したことにはならない。デジスコで写真に撮れなかったら不戦敗だ。写真を撮ろうとして鳥に飛ばれたりしたら反則負けに等しい。

 キジは少しづつ近くを移動しながら、色々なポーズでモデルを務めてくれた。そして、なんと幸運にも、そのキジが目の前でホロ打ちを始めてくれたのだ。何回も繰り返してくれたので、沢山の面白い写真を撮ることが出来た。完勝だった。キジの鋭い鳴き声は、このホロ打ちの時に発せられることがよく分かった。羽をばたばたばたっと激しく打ち鳴らし、伸び上がって空に向って鋭い声を張り上げていた。ホロ打ちが終わるときには、尾羽をピント斜め上に伸ばして、身構えたような素晴らしいポーズを見せてくれた。
 ホロ打ちは繁殖期のオスの縄張り宣言とも言われている。他のオスを追い払い、メスを呼んでいるのだと解釈されている。一回のホロ打ちは数秒で終わってしまう。キジが、始めるぞ、という仕草をみせたら、即座にシャッターを切らないと間に合わない。秒間2.3コマの連写ではうまく捉えきれない速さだ。シャッターのタイムラグさえもどかしい。

 ところで、ホロ打ちのホロとは何でしょうか。野鳥写真の仲間の多くは、カタカナでホロと記載しています。ネット上には漢字の表記も見られ、「母衣打ち」が多いようですが、「幌打ち」も見られます。CASIOの電子辞書で調べてみると、母衣は鎧の背につけて流れ矢を防いだ幅の広い布。幌は車などに取り付ける覆い、と記されている。「母衣打ち」も「幌打ち」も、布が風で波打ってばたばたしているところからの連想と考えられる。電子辞書には、保呂もあった。保呂羽(ほろば)の略という。保呂羽は鳥の左右のつばさの下に生えそろった羽。鷹のものは矢羽として珍重する。と書いてある。これなら実際のキジの羽の動きとよく一致していて納得できる。しかし、ネット上に「保呂打ち」という語は見当たらなかった。

 平成24年7月15日、ホロ打ちの写真を撮った田んぼで、今度は雌のキジを撮ることが出来た。地上のトビを狙って車で近付いてみると、キジも3羽いて、一羽は雌だった。雌は撮ったことがなかったので、無性に撮りたくなった。夕方の逆光で撮り難かったので、一度遠くまでその場から去って、順光になる方向からもう一度近付いてみた。雌キジはとことこ歩いて遠ざかってしまった。50mほど先の畑の端には雄が一羽しゃがみ込んで休んでいた。そこにカメラのピントを合わせていたら、いつの間にか雌がこの雄に近付いて来て、目出度く一緒にカメラに収まってくれた。 この二羽は番(つがい)となって産卵・育雛をしたのだろうか。野鳥図鑑には、キジの抱卵は雌だけで行なう、と解説されている。地上で営巣するので、地味な雌の方が外敵に見付かり難いためと解釈されている。

 ネット上で面白い一文に出会った。「鳥のディスプレイはふつう雄が雌の目の前で行いますが、キジの母衣打ちは雌を呼び寄せるために雌の姿が見えなくても、続けます。声と姿にひかれて寄ってきた雌のすべてと交尾します。えり好みはしないようです。」 自然界には色々な種族保存の方法が存在するのは当然だが、キジの上記のやり方は、日本の国鳥として、日本人の象徴とするには疑問が残ると言えないだろうか。日本人は、キジを人工増殖し、放鳥し、それを銃で撃ち落す。その肉は販売されている。姿態優美とはいえ、これでは国鳥としての品位が保てない気もする。
/(了)